■日向夏の名前について
日向夏を発見後、 日向夏は【日向の夏蜜柑」】と言われていました。
1887年、田村利親氏が【日向夏蜜柑】と命名しました。
1887年、田中長三郎博士により、学術名は「Citrus Tamurana HORT.ex TANAKA」
■日向夏とニューサマーオレンジを同じ人が命名
日向夏とニューサマーオレンジは同じ人が命名しました。
1891年、田村利親氏は、故郷の高知県に日向夏を送り、田村氏の父親は栽培を始めました。
1903年、田村利親氏は、日向夏蜜柑を、「ニューサマースモールオレンジ」と称して米国のスイングル博士に送りました。
それから【ニューサマーオレンジ】と呼ばれはじめました。
■命名した田村利親氏とは
1886年、岩山宮崎県知事は日向夏に将来性があると考え宮崎県属の田村利親氏(1856~1934)に調査を命じました。
田村氏は調査研究した結果、生産者に他のみかんに日向夏の高接きを奨励して【日向夏蜜柑】と命名しました。
その後、田村氏は、鹿児島県、静岡県、故郷の高知県で柑橘担当技師を退任しました。
■みんな兄弟
日向夏は、ニューサマーオレンジ小夏、土佐小夏と呼び名を変えて、高知県・静岡県など全国で栽培されています。
■田中長三郎博士とスイングル博士
ひとことで言うと、この2人は【柑橘類の世界的大家】です。
田中長三郎博士(1885~1976)は、兵庫県の出身で東京帝国大学農科大学(現在の東京大学農学部)を卒業しました。
1925年、田中長三郎博士は、宮崎高等農林専門学校(現在の宮崎大学農学部)の教授に着任されました。
そのとき、田中博士は、学校の講義で生徒に【富高村=日向市に自生する日向特産のへべす】の素晴らしを話しています。
ウォルター・T・スウィングル博士(1871~1952)は、米国農務省の農学者です。
1927年、スウィング博士は、日向夏の原木の視察と宮崎高等農林専門学校(現在の宮崎大学農学部)で講演をしました。
■日向夏に食べるときに使うナイフ
日向夏は黄色の外皮をナイフで剥いて食べます。
食事にナイフを使い始めたのは、18世紀中頃のヨーロッパ人と言われています。
現在、地球上に60億以上の人がいます。その60億人が
食事をする方法は、
手で食べる人が40%、箸で食べる人が30%、ナイフ・フォーク・スプーンが30%と言われています。
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黄色の外皮を剥くと現れる白皮
白い海面状組織(アルベド)の内皮をいいます。
■日向夏の分類
ミカン科カンキツ属。 田中長三郎博士の分類は、後生カンキツ亜属ユズ区に属します。
ユズは、中国揚子江流域原産で紀元前二世紀には栽培されていたそうです。
■日向の名前
日向は、日本書記と古事記に数少ない具体的な地名として登場します。
日向国は、684~696年(飛鳥時代から奈良時代)に誕生したと考えられています。
■宮崎県の名前の由来
神武天皇が東征前に過ごされた高千穂宮または奈古神社の前の土地を「宮前→宮崎」となったと言われています。
■宮崎県の誕生
明治4年、廃藩置県で美々津県と都城県となる。
明治6年、美々津県と都城県が合併して宮崎県となる。
明治9年、宮崎県は鹿児島県に合併され鹿児島県となる。
明治16年、西南戦争後、分県運動で宮崎県を再置。 |