ひゅうが農園
戻 る
2003年 3月13日(木) 寛容と現実(1)
■寛容
緊張が高まる隣国や中近東のニュースを見ていると、自分の考えを自由に言える日本は「良い国」と考えます。
政治が一流でないのが幸いしているのかもしれません。
戦争は「民族や宗教の問題で起る」ことがあります。
島国ニッポンは「言論や宗教」には「寛容」だと思います。
国によっては、日常生活の食事や服装から職業まで厳しく決められているところもあります。

日本人の多くは、宗教も行事も同じ感覚として深く意識していないからと考えます。
「寛容」「妥協」「なんでもあり」の「最たるもの」は、
年間では「正月は神社に初詣、お盆はお寺にお経をあげてもらい、クリスマスはキリストを祝う」
人生では「子供が生まれると神社でお祓い、結婚は教会で誓い、葬式はお寺に頼む」
平安時代からの神仏習合思想があり、ギリシャ人のシンクレティズムに近いです。

日本人は「罪」に「寛容」です。
他の国では「一切れのパン」を盗むと厳罰に処せられる国もあります。例え「生きる為に必要」としてもです。
日本も「窃盗」は犯罪です。しかし、場合によっては「その行為」を罪と考えません。
日本人は「盗んだ人」に、先ず「盗むんだ理由」を聞きます。
「食べるものがなかった」という理由を聞けば「それなら仕方が無い」と考えます。
「人が生きる=命」が「何よりも大切なこと」と考えるからです。
「教えや法律」を厳しく守る国だったら「許して」もらえるのか分かりません。

日本は、食事が食べられる環境の人が起こした「犯罪」に「法律」は厳しく、
生きて行くことが困難な環境の人が起こした「法律」は手厚い保護をする国と思います。